年末年始の阿波歩き

師走の阿波路 20051230

 かなり途中をぶっとばして、今回は徳島から歩くことに。
 1泊して午前7時50分発。静まりかえった朝の繁華街を横目に眉山のふもとをぐるりとまわる。
 「あ! パン屋だ。おいしそー!」のひとことでレイザルは店に吸い込まれていく。
 「きょうは自信もって歩いてるやろ。全部知ってんねん。ここ自転車で走ったからな。アイスを買いにきたんや。ほんまおいしかったでぇ。フルフルの服着てさ。おねえちゃんかわいいで。私もバイトしたくなったわ」
 んー、見たくない。で、つぶやく。
  「バイトのおねえちゃんと、パートのおばちゃんの境目って何歳なんやろな」 。カガミを見てくれ。
 そのうち何かを発見したかのように目を輝かせる。
  「この町って和菓子の店が多いよなあ。ほらこっちにも、あ、ここにもあった」
 パン屋やラーメン屋も多い。それも今や死語となりつつある「支那そば」って看板がけっこう目につく。追い打ちをかけるようににあらわれたのが、「中国花嫁紹介します」という看板だ。話には聞いていたが、こんなおおっぴらにやってるところがあるんやな。中国と縁が深いんかな。
 午前9時10分、線路をわたり、40分ほどで国道に合流して勝浦川を渡る。広々とした川は心地よい。
 渡るとなぜか、リアルな猪の看板がある。さわってみるとホンモノだった。
 遍路道に入って落ち着いた雰囲気の小道をたどる。右手の山の斜面をのぼっていくと恩山寺だ(11時10分)。
 山のなかの静かな境内に鳥の声がひびく。裏山は自然観察ができる小道になっている。住職がお堂の梁に正月飾りをつけている。
 100メートルほどもどって、牛小屋を右に折れて山道に入る。牛小屋の角の部分にミカンの直売コーナーを設けてるのがおもしろい。こんな臭うところで売れるんか。
  モー! と切ない声。
「正月用に仲間が売られていったんちゃうか」。そうかもね。
  柿の木にはまっかに熟した柿がぽつぽつ。義経がたどったという竹林の小道をたどって舗装道路に出ると、ミカン畑があらわれる。
 川沿いをしばらくたどって12時50分、立江寺の手前の商店街に到着する。商店街の入口にある和菓子屋に、「まんじゅうだ!」と叫んでレイザルは吸い込まれた。出てきていわく
  「薄皮まんじゅうがおいしいらしいけど、今日は餅つきだからつくってないんだって。そのかわりと言っちゃなんだが……」と、栗まんじゅうと白あんのまんじゅうを取りだした。
  「いくらやと思う? 2つで90円や。けっこうおいしいなあ」
 13時、立江寺に着く。JRの駅にも近い町中にあり、建物は真新しい。が、いやらしいゴージャス感はないから好感をもてる。
 さて、ここからどうするか。次の20番鶴林寺の登山口にある民宿はきょうはやってない。仕方ない。とりあえず20番の登山口まで歩いて、そこからバスでもどってこよう。
 田んぼのなかの県道を内陸へ1時間ほど歩き、櫛渕という集落の、楠の巨木と楓の木の巨木のあるところで休憩する。さらに進んだバス停わきには遍路のためのプレハブの休憩所がある。「寿康寿庵」といい、ソファーや茶も用意されている。でも入るのはやめた。宗教心もないのに悪いもんな。水野真紀と後藤田ジュニアのポスターがあってがっかりしたってのも理由だけど。
 さらに1時間弱歩き午後3時半ごろになって、バス道と離れてしまったことに気づいた。 鶴林寺の登山口までは4キロ弱あるが、今回はあきらめよう。1時間歩いて「寿康寿庵」のバス停にもどり、そこからタクシーを呼んだ。
 電車をのりつぎ日和佐には19時すぎに着く。駅裏のホテル千羽へ。廊下は真っ暗で非常灯しかついてない。だが、硫黄のにおいのする温泉は最高だ。夕食は、刺身と茶碗蒸しと天ぷらと鍋といった「旅館飯」だが、空腹だったせいもあってあっというまに平らげた。
  「ほんまうまいなあ。幸せやわあ」とレイザルはダイエットなどからっと忘れて飯をオカワリしている。そのせいで体重は大台を超えたそうな。ざまあみろ。

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日和佐から海部へ 鯖大師 20051231

 年の最後の1日をお遍路ですごすってのもいいかもな。
 旅館の朝食を食べて8時前に出発して、隣にある薬王寺へ。
 厄除けの坂がある。最初の階段は「女厄」。1円玉を1段ずつ置けばいいという。レイザルは5枚ほどあった1円玉を1つ1つ置いてのぼる。登り終えると、「男厄」の石段がある。
  「しもうた。私の厄除けだけに1円玉全部使ってしもうた」
 登り切ると本堂がある。日和佐城や入り組んだ湾、民家の黒々とした瓦屋根が一望できる。春になれば桜が咲いて美しかろう。尾道の坂の上の寺の雰囲気に似ている。
 関西在住で、鳴門と日和佐に船をもっているというおじさんに会った。「来年60歳になったら日和佐に住みたい」という。2隻の船にはそれぞれ家財道具とつんでいるという。ええなあ船って。決まった道路しか走れない車とはちがって自由だもんな。
 8時40分発。一路国道を南へ。「海南27キロ」の看板がある。時速3キロとしたら17時40分着だから、もう真っ暗だろうな。
 50分ほど歩くと「室戸78キロ」の道標がある。以後「室戸○キロ」という数字をもどかしく見つめながら歩くことになる。
 「遅い車は左に寄ってくれるけ」。ユニークな交通安全の看板だ。「け」と言われると、思わず笑って言うことを聞いてしまいそう。
 日和佐トンネル(690メートル)の入口に着いた。トンネルかぁ、めんどうだなあ、と思っていたら、左手に「旧へんろ道」「よここ峠へ1キロ 30分」というの看板があった。トンネルを通るより4倍以上時間がかかる。
 「行こう」と珍しくレイザルが断言した。宿の予約もしていない。もしとれなかったから夕方の列車で帰ればよい。行けるところまで行けばいいなら旧道を歩こう。
 砂利道に入る。途中から斜面をのぼり9時50分に峠についた。杉の林のなかの暗い窪地で、展望もない。冷たい風が吹き抜ける。
 下りの急坂には、「腰を落として歩いてください」という注意書きがある。それを見て何を勘違いしたのか、レイザルは腰が引けてずるずるとすべりおりていく。
 20分ほどで国道までおりる。
 「最近ロリコンが悪いとか取り締まれとか言うやんか。アニメオタクもあかんやろ。ミナミなんかすぐ逮捕やで。でも、オバセンとかデブセンとかはええんかな」
「おばさんだったら説教されるだけやん」
「 そっか。おばさんにストーカーしても撃退されちゃうし、デブと暮らすんじゃ食費が大変だから、もともとしないってことか。ロリコンでもオバセンでも同じようなもんと思うけどなあ」
  ひたすら国道を歩く。峠をこえて海を見えぬ内陸を歩きつづける。正午、「室戸71キロ」の看板がある。海南もまだまだ遠い。険しい山がそびえ、川の水は透き通っている。あ、魚が群れている。鯉が泳ぐ川沿いにくだっていく。
 13時5分、「室戸69キロ」
 真っ青な顔をしたレイザルが「トイレ」と言う。
「ガソリンスタンドで借りようかな。やっぱがまんや」
「貝の資料館モラスコむぎ」という看板を見て悲鳴をあげる。
「やめてよ。モラスコだって。出そうやわ」。せせらぎを渡るときもさらさらという水の音に反応して「やばいで」
 牟岐町の中心の入口、「ユートピア」という名のコンビの隣においしそうな手作りのパン屋がある。「おいしそう。ええかな」と言うやいなや駆けだして、焼きたてのピザパンを買ってきた。
  「お遍路さんの休憩所あります」という看板の下に「警察署」とある。牟岐警察署がお遍路の接待所を設けている。
 「住所と名前書けとか言われるんかなあ」
「こじき遍路を取り締まろうとしてるんかなあ」
「寄らなかったら逮捕されたりして」
「泊めてくださいってたのんだら独房かな」
「免許証は?って聞かれるんちゃう?」
 しょうもない話をして通りすぎた。
 峠のトンネル(210メートル)を抜ける。今度は旧遍路道は通らなかった。ついさっき宿を予約してしまって、30キロ近く歩かないといけないからだ。
 13時55分、眼下に万華鏡のようなみごとな海が広がる。ガラスの破片が散らばったように光がまだら模様をつくっている。下の浜にお遍路さんが2人いる。旧道を通って、浜辺でのんびりしてるんだろう。
「ああいうのがええなあ」
「上から見る浜もきれいだけど。やっぱり、なあ」
 14時5分、内妻トンネルの手前、松坂峠を通る旧遍路道を迷わず選ぶ。落ち葉を敷き詰めたような急な山道をのぼっていく。峠からは樹間に海がのぞく。国道からはこういう景色は望めない。
 くだると浜に出た。おじさんが1人、たき火をして魚釣りをしている。浜にはさまざまなゴミが打ち上げられている。なかには注射器もある。黒潮にのってきたのだろうか。
 岩がころがる浜を歩いて14時40分に国道にもどり、20分ほど歩くと鯖大師だ。寺への沿道には「初まいり」という赤いのぼりがずらりとはためき正月ムードだ。寺でも、大掃除やら露天やらテントの設営やらで忙しそう。
 鯖を3年食べなければ御利益がある、という。
「それだけこのへんの鯖はおいしいってことなんかなあ」と言うと
「お大師さん、鯖を食べてじんましんが出たんかなあ」とレイザルが返す。会話になってない。
 垂れ幕の「鯖」の字がちょっと間抜けでかわいい。
 ここで声をかけてきた兵庫出身のおじさん、この冬のさなかに野宿でお遍路しているという。このおじさんと、東京出身の若い男性とつれだって歩くことになった。
  おじさんの話はおもしろい。4,5年前に最初に歩いたときはふつうに民宿に泊まっていたが、途中から野宿に目覚めた。虫やヘビがいない冬を中心に歩き、シートの上にエアマットを敷いて、カイロを3つ4つぶちこんだシュラフをかぶって吹雪の焼山寺近くの小屋でも寝たという。
 「四国ほど野宿しやすいところはないよ」という。そうだろなあ。なんだか久しぶりに野宿したくなる。
  超スローお遍路だ。1県40日かけるという。国道をきらい、ちょっとでもはずれる道があればそちらを選ぶ。だから遠回りになるのだ。
 「私なんか、冬場のダイエットになるから歩こうかって思って始めただけだから、お接待とか言われると困るんですよ」。レイザルがそう言うと、
「どんな人でも受け入れるのがお遍路なんだからいいんよ。そもそも信心深い人はバスでまわる。歩いてる人はあなたと似たようなもんよ」
「一応納経だけはしてるんですけど」と言うと、
「そこまでやればパーフェクトお遍路やで。僕は納経はしてないから98%や。自信をもって白衣を着なさい」
「そっか、私、パーフェクトお遍路かぁ」…… などなどとしゃべりつづけ、おじさんに案内されるままに、国道を離れて浜辺の道をたどる。
 浅川の港から国道と離れて旧道の県道に入る。漁港の集落はコンパクトで、おもちゃのような木造の家がならんでいる。古いけど、独特のかわいさがある。
 おじさんは途中の休憩小屋で「ここで寝るから」という。握手をして別れる。
 東京から来たお兄さんと歩く。「1日20キロ歩きます」と聞いて、レイザルがうれしそうに小声で「わたしよりへなちょこなんがいるんやな」とささやく。優越感を得たせいか、疲れ切ったお兄さん相手にぺらぺらとしゃべりつづける。
  「もうすぐや。ほらあのカーブをまがったら海があって終わりや」(カーブをまがっても延々と道はつづいている)
「ほら、海南役場って看板があるやん。看板があるってことはもうちょっとってことや」(実はまだ4キロ以上あった)……ってな調子だ。レイザルの妄想癖を知っていれば聞き流すだけだが、まじめなお兄さんは信じてしまって心底疲れたんじゃなかろうか。
 日も暮れた午後6時前、海南の役場前をすぎて海部川を渡った。と、対岸には海部町の役場がある。川をはさんで役場がむかいあっているのは珍しい。これだけ中心街が近ければ、合併してももめることはあるまい。
 おにいさんと別れたあとホテルに電話したら、迎えに来てくれた。町はずれの丘の上にずんずんのぼる。歩いたら30分近くかかるんじゃあるまいか。 宿の名前は「ふれあいの宿 漁火の森 遊遊NASA」。
 「『ふれあいの宿』は国民宿舎みたいやし、漁火の宿はごちそう旅館やろ。遊遊はラブホテルやし、NASAはロケットや」とレイザルはうれしそう。
 1泊2食12000円というだけあって、広々としたロビーがあって、年始をすごす家族連れらでにぎわっている。
 受付で夕食のメニューを選ぶ。さしみは6種(マグロ、カンパチ、イカ、鰹……)から3種、揚げ物は3種(鰈の唐揚げか、エビのすり身の天ぷら、天ぷら)から選択、あら炊きと小鍋と煮物からの選択……と、なかなかこだわっている。味も上品だった。
 客室も広くて清潔だ。紅白歌合戦をちらちら見ながら、2005年の最後の日をすごした。横ではレイザルが「大台超えた! 超えちまったぁ!」と騒いでいる。

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漁村の元日 20060101

 2006年が明けた。午前6時半に目覚ましで起きたが、薄曇りで初日の出は見えない。 でも、少しずつ明るくなる太平洋は神々しい。雲の間から太陽の光が一瞬きらめくと、ため息がでる。
  朝食のバイキングは、おせち風のおかずがならび、みそ汁には餅が入っている。。ロビーで鏡開きがあり、樽酒がふるまわれる。
 レイザルはガラガラ声で「のろいたい(ノド痛い)」と言う。昨夜、若いお遍路さん相手に調子に乗ってしゃべりすぎたのだ。
 出発は9時20分になった。深く陸地に切れこんだ那佐湾沿いをまずは西へ。深い湾だから川のように静かだ。20分ほどで宍喰町に入る。
 鴨が海面に2羽浮かんでいる。上空にはトンビが円を描く。ざわわざわわと打ち寄せる波の音も春のよう。パーカーを着ていると汗ばむほどあたたかい。
 線路わきのコンビニ「ユートピア」は正月だというのにあいている。旅行者には便利だが、どの店も開いてない静かな正月が懐かしい。それでもこのへんは都会とちがって、昔ながらのピーンと糸が張ったような正月の雰囲気が残っていて心地よい。
 午前11時、宍喰の「道の駅」に到着する。温泉があり、リゾート風のホテルも併設している。海辺の消波ブロックには、太平洋らしい波が押し寄せて砕け散り、ドーン、ドーンと重低音を響かせている。
 さらに4キロ先の、鉄道の終点の甲浦まで歩くことにする。宍喰の漁港の上を国道はまたぐ。正月だけあってすべての漁船が係留され、しずかに浮かんでいる。水床トンネル(638メートル)を抜けると高知県東洋町だ。
 昼すぎ、甲浦の白浜海岸にたどりつく。2つの岬に囲まれた湾の奥にあり、波はやわらかで砂浜も美しい。おじいさんおばあさんにつれられた子どもが凧揚げをしている。集落内に入ると、これまた笑顔を満面にたたえた祖父母につれられた孫たちが3人、4人とつれだって歩いている。この漁村では、正月が一番の「ハレの日」なのだろう。
 国道を右折して街の南端の川沿いを1キロほどたどると甲浦の駅に着く。新しい高架の駅だ。国鉄民営化で延伸のめどがたたなくなり、3セクが工事も担って完成させたのだろう。1両編成の車両は、中央部にゆったりしたソファーを備えている。乗り心地がよいから、たった2駅分しか走らないのがもったいない。
 ただ、この高齢化の時代に高架の駅はいただけない。体の不自由な年寄りは使えないのではないか。

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