遍路・香川へ@ 2005秋 雲辺寺〜観音寺 0914-15

  久々の遍路だ。
 愛媛県川之江の椿堂から再開のはずだったが、7キロほど先の徳島県阿波池田の佐野という集落にある民宿にレイザルが「泊まりたい」と執拗に主張する。7キロ分は歩くのをやめて、おじいさんが1人で切り盛りしている「民宿岡田」に1泊してから歩くことにした。
 民宿岡田のある佐野という集落は、昭和の合併の前は佐馬地村という独立村の役場がある中心集落だったという。昔の農協やらなんやら、ちょっとしゃれたつくりの建物があちこちに建っている。
  林業が盛んで、数百人の児童でにぎわった小学校は、今は30人ほど。「僻地の村は合併でええことない」と民宿のおじさんは言った。
 昭和20年8月には広島の国鉄の学校にいて、ちょうど岩国にいたときに原爆が落ちたという。翌日、広島に帰ると、一面が褐色や茶色の世界。緑はまったくなかった。放射能の影響で頭髪が抜けてしまった。昭和27年ごろはトラック2、3台で白トラック運送業をしていた。米が自由に売買できなかった時代、荷台の外側に木炭をのせて米をかくして大阪まで運んだという。
 奥さんが亡くなってからは、ずっと1人で料理をつくり、民宿を切り盛りしてきたという。食事は、歩き遍路が多いためか、ボリュームがあっておいしい。
 翌朝午前7時、車を駐車場におかせてもらって出発する。
 民宿の隣の洋館風の建物は農協で、その向かいは造り酒屋だった。佐馬地村の「銀座通り」と呼ばれていた。
 5分ほどで集落のはずれの雲辺寺への登山道にとりつく。杉林のなかをじりじりとのぼるの。標高240メートルの集落から1時間ほどで標高600メートルちょっとの稜線にでる。道は舗装道になり、目の前が開け、トウモロコシ畑を涼しい風が吹き抜ける。高原野菜の団地なのだ。
 杉の巨木が点在する暗い林を抜けて午前9時すぎ、雲辺寺に到着する。標高900メートル。八十八カ所の霊場で一番高い。ランの一種と思われる紫の花があちこちに開花し、シャクナゲの木も参道に植わっている。まだ紫陽花の花が咲いているのには驚いた。なぜか、茄子の形をした絵馬がたくさんある。
 木陰で休んでいると、下からチリンチリンと集団遍路の音が近づいてきた。ロープウェーかバスでのぼってきたのだろう。山の静けさのなかでは、鈴の音さえも騒音にしか思えない。
 旧遍路道を1時間半ほど下って、午前11時すぎに車道におりたったころには、古傷の右足の膝が痛みはじめた。
 青いミカンが鈴なりになり、畦の真っ赤な彼岸花の上をアゲハチョウがひらひらと舞って蜜を吸う。すっかり秋なのだ。
 奥谷という地区の藤棚がある御堂をすぎ、川沿いをくだる。鏝絵のある家がチラホラ。ため池のほとりに、生け垣もなく縁側がある開放的なつくりの家をみつけた。
「いかにも休めといわんばかりだな」
「あそこで休憩できたらええのにな」 と話していたら「土仏観音院」と書いてある。ありがたい。
 午後零時45分、大原自治会館の目の前に、壊れかけた接待用の小屋を見つけた。なかには、杖をもった夫婦の写真がある。明治か大正の時代だろう。自分たちが遍路を経験し、この小屋を建てたのだろう。
 20分ほど歩き、田んぼのわきの小高い丘の上にのぼると大興寺だ。樹齢1200年という巨木、大仁王像に大わらじ。山際の田園地帯ののんびりした寺である。
 観音寺の市街へ細い道をたどって北上する。たんぼのなかの道を歩き、高速道路をくぐるちょっと前、なにがあるわけでもない道路沿いに、突如民家を改造したかのようなうどん屋が現れる。(14:30)
「いくか?」とレイザルに声をかけると、
「うーん……」。通り過ぎるのかとおもったら、目がきらりと光って
「お客さん、けっこう入ってんで。おいしいんやできっと」
 冷たい麦茶が飲み放題なのがうれしい。うどんはこしがあってさすが本場。2人で470円。安い。
 店をでて50メートルほど歩くと、後ろから「すいませーん」と、店員さんが追いかけてくる。
「これ御接待です」と200円。なんとまあ。ひたすら恐縮するばかり。
 午後3時、国道11号をわたる。「善通寺20キロ」の看板がある。遠いなあ。40分ほどでJRをわたって観音寺の町に入った。眠っているような街だが、財田川をわたると、視界がぱっと開ける。目の前の琴弾公園の小高い山は鮮やかな緑で、左手の河口には夕日が反射している。解放感のある風景はどこかに似ている。桂浜じゃないし……
 神恵院と観音寺は同じ境内にある。神恵院の本堂はコンクリートのうちっぱなしだ。せまい入り口を入って階段をのぼると、コンクリートの壁に囲まれた本堂があった。コンクリート建築は本堂を隠す門のような役目をはたしているのだ。愛媛・小松町の香園寺ほどのゴージャス建築ではないが、かといってありがたみは感じない。
 大きな楠の木の下のベンチに座って目を閉じると、ツクツクボウシの合唱が脳髄の底までしみわたってくる。
 宿泊した藤川旅館では、テングサを海でとってつくったという手作りの心太をサービスしてくれた。おいしい。
 休憩してから夕日が見えるという温泉に向かう。
 琴弾公園方面へ財田川をわたり返し、左手へ10分ほど歩く。なぜか、欧風の赤煉瓦の壁がつらなっている。煉瓦工場か何かの跡かもしれない。
  温泉は午後6時からは600円に値引きとなるから、20分ほど時間をつぶしてから入った。
 浴室が外に向かって放たれていて、目の前が海で、海風で涼みながら入浴できる。6つくらいの浴槽がある。休憩室にはタオルケットまで用意されていて、昼寝もできる。至れり尽くせり。デッキに出てビールを飲むと、なお気持ちがいい。食堂の料理は「並」だが、気持ちよさだけで十分なごちそうだった。(つづく)












遍路・香川へA 2005秋 本山寺〜出釈迦寺 0916

  旅館に起こしてもらい、7時前に出発する。
 財田川の川縁の道を上流にさかのぼる。雲から幾条もの光の筋がふりそそいでいる。土手に咲くレンゲや曼珠沙華が美しい。JRの鉄橋をくぐって運動公園をとおりすぎて午前8時に本山寺に到着する。
 本堂は国宝で、五重塔もある。朝だからか静かでのんびり。早朝の寺はさわやかな緊張感がある。
 国道をちょっと歩いてすぐに旧道に入ると、右に左に次々にため池があらわれる。
 手押し車のおばあちゃんに「おはようございます」と挨拶したら、 「ちょっと待って」と呼び止めらた。「これ食べて」と手押し車から取りだしたしょうがせんべいを手渡してくれた。申し訳ないなあ。
 午前10時、高瀬駅前を通過。前日の雲辺寺の上り下りで、右膝を痛めたのがじょじょにきいてくる。旧道から11号に出たと思ったらすぐに左折して川沿いの土手道に入る。
 ガイドブックを眺めていたレイザルが青い顔をして、 「なあ、弥谷寺って500段の石段があるんやて」。目の前にこんもりそびえる山のおそらく中腹あたりまで登ることになるのだろう。まだまだ遠い。
 ブドウ棚に巨峰のような大きなブドウがたわわに実っている。 「おいしそうやなあ」と話していると、
「お遍路さん、こっちにいらっしゃい。ブドウを食べてお行きなさい」
さすがにそれは悪い。50メートルほど脇道にそれるのもしんどい。「お気持ちだけいただきます」と言って先を急ぐ。
 それにしても昨日と今日の2日ですでに3回も「お接待」があった。
「愛媛では『お接待の心』を宣伝文句にして町おこしをしてるけど、一度もなかったやん。それが普通なんやろけど、香川はすごいなあ。やっぱり弘法大師のお膝元って感覚があるんかな」
 弥谷寺のある山にむかってまっすぐにすすみ、道しるべに従って旧街道っぽい道を右にまがる。まもなく、軒下に長さ30センチ、幅10センチほどの板きれをたくさん積んでいる家にでくわす。
 「あ、ぜったいこれ下駄屋さんやで」といってレイザルはさっそくおじさんに声をかけている。
 昔は何人も下駄づくりの職人がいたが、今この近辺ではおじさんだけしか作っていない。弥谷寺の前の「道の駅」で売っているとという。
 弥谷寺の手前のうどん屋に迷わず入る。2人で800円。昨日よりは高いが、さすがに讃岐だけあっておいしい。  うどん屋からは坂と数百段の石段だ。20分ほどで太師堂、さらに5分ほどのぼって本道にたどりつく。思ったほどの急坂ではなかった。
 次の曼陀羅寺へは、車道は通らず、3キロちょっとという山中の道をたどる。竹藪を抜け、ため池のわきを歩いて30分ほどで農道にでる。高速の下をくぐってため池わきの道をたどって国道11号へ。善通寺市街方面への看板にしたがって右折し、遍路道標を見落とさないように気をつけて、右手の細い道を、ラクダの瘤のような2つの頂がある山に向かってのぼっていく。2つの頂の鞍部に寺らしき建物がある。
 「まさかあれちゃうやろな。あれやったらやばいで」と戦々恐々としながら歩く。
 幸いなことに、「あれ」は出釈迦寺の奥の院であり、本堂は手前の集落のなかにあった。
 出釈迦寺と曼陀羅寺の境内には、イチジクを売っている。1パック200円。安くて熟れていておいしそう。食べたかったが、バスの時間がぎりぎりに迫っていたためあきらめた。
 14時50分のバスで善通寺駅へ。3キロほどだが運賃は2人で700円。特急で阿波池田に出て、タクシーで岡田屋へ。午後5時に到着した。








かかった費用

 
■14日 ガソリン 2700  民宿岡田 13000(ビール2本)
   計16000
■15日  納経 300×4  手ぬぐい 300  冷やしうどん大、生醤油うどん中 470円  (お接待ー200円)  茶やジュース 390  温泉 1200  コンビニ 700  缶ビール 220  飯代 4250  藤川旅館 7000
  計17000
■16日  茶 300  うどん 800  納経 300×4  バス 700  ビールと鰯のつまみ  600  特急   2500  タクシー 3270
  計9400
■往復交通費 7000
 帰宅後に食べた回転寿司 4300
■■総計 54000円 

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